【閑話休題】検索の広告もSEOも劇薬だった。

世の中には需要と供給という言葉がある。

そう、使い古された言葉である。

アダムスミスが唱えたこのクラシック(音楽的な意味でもね)な概念は、人間が経済活動をする限り何かの場面で溜息と共に実感する概念でもある。

検索の画面には広告は10程度、自然検索は10程度、結局がんばっても1ページ目には20の枠しか供給されない。もちろん、だからビックワードからスモールワードの組み合わせに土俵を移してまた新しい市場として枠を確保する。

でも人間の需要のある言葉も限界が近づいているんじゃないか?たとえワードを組み合わせたり、時間を区切ったり、場所を区切ったり、いろんな区切りを入れていったとしてやはり限界が近づいているんじゃないかと思う。

だからディスプレイ型のアドネットワークに戦場が移りつつあるんだけど、やはり検索の市場は既にニーズがはっきりしている人という、マーケティング的にとてもおいしいセグメントだから競争になる。

ただ、ディスプレイのアドネットワークはややジャンクというより、ユーザーのニーズは検索ほど絞られていない。なんとなくその場所にいる人も多い。カテゴリがバイクであるブログに見に来ている人もほんとにバイク好きかどうかはわからないのだ。(もちろん、あてずっぽうで出すよりはずっといいが)

この数年、ネット広告の世界ではキーワードのリスティング広告とSEOという、反応率の非常によい「枠」が非常に重宝されてきた。この枠も飽和に向かい、そろそろ次の時代に入るだろう。検索は一時的な劇薬だったかもしれない。

Googleはカスタマージャーニーやマルチチャネル、そしてそれらは継続的に運用するのが当然という、概念を強調しだした。これは、決定力のあるFWの数がリーグで限られているように、一発で決定してくれる検索というCFが足りなくなってきてることに起因しているのではないか。決定力の弱いフォワードをそろえたチームのために、ゴール前にパスを運ぶタレントをそろえようとしているのである。運用型広告という広い概念は、パス回しの運用の広告である。

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